2007/11/29 21:21 [Thu] category: 〔六代〕家宣 家宣が死の床についたとき、間部詮房を通じ新井白石に将軍継嗣について次のように相談したという。
「鍋松(家宣の子、当時4歳)は幼く、古来、幼主の時に世が平穏であったためしが少ない。
また、天下の事は私すべきものではない。
東照宮が御三家を立てられたのは、このような時のためであるから、自分の後は尾張殿に譲り鍋松が成人した折には、尾張殿の心に任せた方が良いか、あるいは鍋松が成人するまで尾張殿には西丸にいて政治を執ってもらい、不幸にして鍋松が死んだ場合に尾張殿に将軍家を継いでもらった方が良いか、この2案のうちどちらが良いか。」
白石は2案とも反対し、鍋松を継嗣とし、譜代の臣がこれを支えることを進言したので家宣もそのとおりとし決し、まもなく死去した。
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家定だけではなく、阿部正弘や養父の島津斉彬も病没でしたね。
体調が厳しい現状になりましたね。
私のブログも夏に向けsisi家定の生母・本寿院の生涯将軍家の子供達初めまして。
今日の篤姫を見た後、ネットを見ているうちに辿り着いて、たいへん興味深く読ませていただいています。
以前、大河ドラマの「吉宗」を見ていたときにも染太郎七男でも将軍候補とされた理由慶喜と慶福以外に対抗馬がいなかったか?マー君さん、こんばんは
コメント承認が遅くなり申し訳ありません。
週一本の記事を自分でノルマとしているのですが、なかなか仕事の関係で時間がとれず、先週は飛ばし清正七男でも将軍候補とされた理由慶福(家茂)&慶喜の事が分かってきたところで、次の質問を致します。当時の徳川家一門には、慶福(家茂)&慶喜…この二人以外に次期将軍候補は居なかったんですか?歴史の表マー君七男でも将軍候補とされた理由マー君さん、こんばんは
コメントいただきありがとうございます。
家慶の時代の正室と側室(本寿院)との確執に注目されたわけですね。
理由の一つとして十分ありえる清正七男でも将軍候補とされた理由詳しいご説明有難うございました。七男と言っても兄たちが夭逝してたから実質三男みたいなモンですね。鳥取に兄が養子入りしてたんですね。鳥取に近い町に住んでるのに知りマー君将軍になりたくない理由慶喜って水戸家の七男ですよね。何故、七男なのに将軍継嗣に推挙されたんですか?長子継承の観点から見て慶喜の兄達が将軍継嗣に推挙されて然るべきだと思うのですが、その辺の事情マー君