徳川将軍家と大奥のブログ
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表右筆と奥右筆Ⅰ
2007/11/30 18:03 [Fri]
category:その他将軍家の話
江戸幕府には500近い役職数があったと言われています。
今日は、その中で右筆について書いてみたいと思います。

右筆(祐筆)というのは、平たく言えば書記のようなものですが、様々な事柄を文章にします。
文章にするためには、達筆というだけでは足りず、様々な物事に通じている必要があります。

古くは中国の王朝で皇帝の左右にあって、言動を記録した史官が右筆のルーツとなっていますが、徳川幕府の右筆は、慶長元年(1596)年に家康が建部昌興を右筆に起用して法令の文案を作成させたことがルーツと言われています。

五代将軍に迎えられた綱吉は、館林藩主時代からの右筆であった蜷川親煕(にながわちかひろ)を奥右筆組頭として自分のブレーンに迎え、この時から表右筆と奥右筆が分化します。
表右筆の職務は、従来どおり書記でしたが、奥右筆は、将軍や老中などの側近に仕えて機密に携わることを職務としました。言わば、要職の秘書官のようなものです。

奥右筆の”奥”とは、機密という意味あいがありますが、綱吉時代の奥右筆の江戸城内の詰所は、将軍のプライベート空間ともいえる中奥に設けられており、将軍の側近であったことがわかります。
表向に詰所のあった表右筆に対して’奥’右筆であったわけです。(綱吉以後は、詰所が表向に移動している)

次に右筆の身分についてですが、表右筆は組頭で役高300俵、平の表右筆で150俵で、定員は時代によって変遷があるものの30人(幕末80人)。
これに対して奥右筆は組頭で役高400俵、平で200俵、定員は20人でした。
いずれにしても、身分的に高くはありませんでしたが、特に奥右筆の権勢は相当のものであって、役高以外の見入りも多かったと言われています。
その理由については、次回に。


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