徳川将軍家と大奥のブログ
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徳川将軍家の宗教1
2007/12/03 18:20 [Mon]
category:その他将軍家の話
文字色今回は、徳川将軍家の宗教の話です。

大樹寺徳川家が、まだ三河の小領主だった頃、松平家の菩提寺は大樹寺でした。
大樹寺は、浄土宗の寺で家康から五代前の安城城主松平親忠が創建したといわれています。(異説あり)
このことから、松平家の「家の宗教」は浄土宗だったと言えると思います。

増上寺徳川家が関東に移封された際に、江戸にあった浄土宗の増上寺が大樹寺との関係から徳川家の菩提寺となりました。
最初に増上寺に葬られた徳川家の人間は、二代将軍・秀忠の子の長丸だったと言われています。家康が征夷大将軍に任じられる前年の慶長7(1602)年のことでした。
その後、増上寺には、秀忠家宣家継家重家慶家茂の6人の将軍が葬られました。

寛永寺また、もう一つの菩提寺である寛永寺は、天台宗の寺で家綱綱吉吉宗家治家斉家定の6人の将軍が葬られました。
寛永寺は、天海により江戸城の鬼門(北東の方角)除けの祈願所として建立されました。
天海は、比叡山延暦寺で天台宗を学んだと言われており、比叡山が京都御所の鬼門除けであることを模して、寛永寺を鬼門除けとして山号を東叡山(東の比叡山)と命名したのです。

三代将軍・家光は、天海を父のように慕っており、自分の葬儀を天海創建の寛永寺で行うように命じて以来、寛永寺は祈願寺から菩提寺とされるようになりました。

このように徳川家の菩提寺は、浄土宗の芝増上寺と天台宗の上野寛永寺の2つあり、現代の感覚からすると違う宗教の寺を菩提寺とするのは不思議な感じがします。
ただ、他の大名家の例をみても江戸と国許にそれぞれ菩提寺を持っていることがむしろ、普通であり、また、宗派の違う寺を菩提寺とする例もあることから将軍家だけが例外ではないのかもしれません。

ところで歴代将軍15代のうち、増上寺にも寛永寺にも葬られていない将軍が3人います。
言うまでもなく家康は、他の将軍家とは別格で、神格化され、初め久能山に葬られた後、日光東照宮に移葬されました。
三代将軍・家光は、家康を慕う事、尋常ではなく、死後も家康のそばに眠る事を熱望したため日光山輪王寺に葬らました。

例外中の例外が15代将軍・慶喜です。
その話は、次回とします。


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