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大奥 「開かずの間」の話
2008/03/09 14:05 [Sun]
category:大奥の話
大奥には、幕末まで「開かずの間」として、大奥女中から恐れられていた部屋がありました。
この部屋は使用されないにも関わらず、火災などによる度重なる再建の際にも必ず再建されたといいます。
部屋の名前は「宇治の間」

大奥のほぼ中央部に位置し、上段の間が25畳で次の間が16畳の広さ、大奥の中でも相当な広さがある部屋でした。初期の頃は将軍家嫡子の部屋だったとも、御台所の部屋だったとも言われています。

大奥女中の回想録によると、柳沢騒動の時に五代将軍・綱吉御台所・鷹司信子に刺殺されたのがこの部屋で、それ以来、この部屋の前に見慣れない御年寄が現れると、当代の将軍家に必ず凶事が起きたとの事です。また、この御年寄は綱吉刺殺に関わった御台所付きだったと言われています。
この女中も、この前を通る時には非常に怖い思いをしたと話しています。

大奥で語り継がれてきた具体的な話として、十二代将軍・家慶が、この廊下に黒の紋付を着てお辞儀している見慣れない老女が目に留まったので「あの者は誰か」と尋ねた事があって、その事があった年、家慶は亡くなったということです。

柳沢騒動とは、当時の読み物「三王外記」に書かれたもので、綱吉の寵臣・柳沢吉保の側室・染子と綱吉は男女の関係にあって、染子の子・吉里を自分の子であると信じた綱吉が将軍位を譲ろうとしたことを言います。
それを阻止しようとした御台所・信子は思い余って綱吉を刺殺したという話は、当時から庶民の間で噂されていたのです。

この噂の根拠となっているのは、綱吉と信子が宝永6(1709)年に1月足らずの間に相次いで病死していること、綱吉が染子のいる柳沢邸に異例とも言える58回の御成りがあったこと、吉里が綱吉や綱吉の母・柱昌院に非常に可愛がられていたことなどがあります。

史実というのは、すべての可能性を排除できないものですが、信憑性のある史料からは綱吉が染子と男女の関係であった事や綱吉が吉里を実子と認めたという事実も確認できず、一種の綱吉を批判する逸話の一つと考えられています。

「開かずの間」と言われた「宇治の間」は、襖に宇治の茶摘の絵が描かれていることから部屋の名前が付けられているのですが、その他内部造作も詳細に伝わっており、この部屋に普段使わない調度類が収納されていたということで文字どおり、開かずの間ではなかったのです。

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