徳川将軍家と大奥のブログ
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慶喜、恭順の理由1
2008/04/20 23:13 [Sun]
category:〔十五代〕慶喜
最後の将軍・慶喜の評価は、非常に難しいものがあります。

慶喜は、徳川斉昭(水戸徳川家)の七男として生まれ、幼い頃から、斉昭はじめ十二代将軍・家慶からも資質を高く評価されて帝王学を授けられます。
七男ではありましたが、斉昭と正室の登美宮吉子の子は、長男・慶篤(水戸家10代藩主)と慶喜だけであったため、斉昭は、慶喜を慶篤の控えとして考えていましたが、時代は慶喜を放っておいてくれませんでした。

徳川御三卿の一つ一橋家を継ぎ、一時、安政の大獄に連座したため、隠居謹慎蟄居の処分を受けますが、処分が解かれ、将軍後見職朝議参預禁裏御守衛総督などの重職を歴任。
慶応2(1866)年12月5日、将軍宣下を受け、徳川15代将軍となります。

慶喜は、毀誉褒貶(ほめられたり、けなされたり)の人と言われ、周りに本心を見せず果敢な行動力で未曾有の内圧、外圧に立ち向かっていきます。
桂小五郎「一橋慶喜の胆略はあなどれない。家康の再来をみるようだ」と評し、政敵である薩長から非常に恐れられます。

一方で、水戸藩士を母体とする天狗党に対する冷徹な態度や鳥羽・伏見の戦いで配下の多くの将兵を残したまま会津藩主・松平容保ら数人とともに大坂城を脱出したこと、静岡で恭順隠棲していた時代に旧幕臣に対して冷淡な態度であったということなどから厳しい評価もされています。

慶喜のとった行動の中には、非常に理解し難い部分があります。
それでこそ、家康の再来といわれるわけですが・・・
同時代人の坂本竜馬の言葉で「人は皆我をなんとも言わば言え 我成す事は我のみぞ知る」という有名な言葉がありますが孤高の将軍・慶喜にも実にピッタリと当てはまる言葉だと思います。

その理解し難い行動の最たるものとして、大坂城の脱出とそれに続く、恭順姿勢があります。
なぜ、このような行動を取ったのでしょうか。

そもそも慶喜が行った大決断、慶応3(1867)年10月14日に行われた大政奉還は、政権を投げ出したのではなく、幕府という古い体制を捨て、慶喜が構想した新しい政治体制への布石のためでありました。

当時の朝廷は、幕府に理解を示していた孝明天皇が崩御して、薩長勢力が盛り返していた時期ではありましたが、まだ、幕府側に立つ摂政・二条斉敬賀陽宮朝彦親王が中心となっていたのです。
大政奉還は慶喜が打った起死回生の政治判断と言えるでしょう。

この後、薩摩藩邸焼き討ち事件から鳥羽伏見の戦い、そして、慶喜の戦線離脱へと続きます。

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この記事に対するコメント
【 慶喜さん・・・ 】
清正さん、こんばんは~

今夜の大河・・・いつも最後にやる「史跡紹介」みたいなコーナーで慶喜さんがピックアップされてましたね。

私が、まだ幼稚園くらいで歴史の「れ」の字もわからない頃に、父が何かのドラマを見ながら、「徳川では、家康と家光と慶喜・・・この三人が特にエラかった。この三人の名前は覚えといたほうがえぇ」って言ってたのが、頭から離れず、前後の記憶はないのに、その言葉だけが、今もキョーレツに残ってるんです。

徳川将軍家をよくご存知の清正さんから見ればどうですか?

もちろん、暴れん坊な吉宗さんもおられますが、失礼ながら、もし、順番をつけるとしたら、慶喜さんは上位に食い込みますでしょうか?

お時間のある時でけっこうですので、また、ご意見を聞かせていただければ幸いです。
2008/04/21 01:30
URL | indoor-mama #- [ 編集 ]

【 おぉ・・・ 】
清正さん、こんばんは~

さすが・・・奥が深いです。

確かに、源平の合戦でも、(自分の好きな時代に持ってってすみません・・・)寿永年間の飢饉がなければ、おそらく平氏が勝っていたでしょうから、その後の歴史はまったく別の方向へ進んだかも知れませんもんね・・・

ご回答ありがとうございました。

PS:人気があるのが吉宗さんなのは意外でした・・・
2008/04/27 01:06
URL | indoor-mama #- [ 編集 ]

【 】
indoor-mamaさん、こんばんは

徳川将軍家の歴代将軍に順番を付ける・・・んー、難しいですね。
例えば、慶喜が十代将軍くらいだとどうだっただろう、とか十代将軍の家治が十五代将軍だったらとか考えると時代がその人物を生かしも殺しもしているような気もします。

順番はないですが個人的に興味があるのは
慶喜、家治、家定

有能であったと思うのは
家康、秀忠、家宣、吉宗、慶喜

ちなみに、「武士の時代」の人気投票では、圧倒的に吉宗です。
2008/05/20 19:36
URL | 清正 #- [ 編集 ]


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