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【 】 詳しいご説明有難うございました。七男と言っても兄たちが夭逝してたから実質三男みたいなモンですね。鳥取に兄が養子入りしてたんですね。鳥取に近い町に住んでるのに知りませんでした。さて、今回ここで色々と教えて頂き僕なりに考えてみたんですが、本寿院が慶喜を嫌ったのは、慶喜の母が家慶の正室の妹だったと言うのも有るんじゃないでしょうか。本寿院と家慶の正室の間に確執が有ったかどうかは知りませんが、慶喜が将軍になると、慶喜の母は将軍生母となるわけで、家慶の側室だった本寿院にしたら正室の妹が大奥に入って来るような事が有れば前将軍の生母と言えど、出自の面からも前々将軍との関わりの面からも慶喜の母の風下に立たされるのは必定で有ろうことは想像に難くないので、そこで女の嫉妬心だとか虚栄心から慶喜の将軍継嗣に難色を示したと推測してみたんですが、間違ってますでしょうか。
2008/07/08 17:51
URL | マー君 #- [ 編集 ]
【 】 マー君さん、こんばんは
コメントいただきありがとうございます。
家慶の時代の正室と側室(本寿院)との確執に注目されたわけですね。
理由の一つとして十分ありえることではないでしょうか。
大河ドラマでは、家定と篤姫の心の交流を描きすぎるがあまり、実は家定自身が慶喜を嫌っていたという視点が抜けている感じがします。
2008/07/08 23:53
URL | 清正 #- [ 編集 ]
【 】 慶福(家茂)&慶喜の事が分かってきたところで、次の質問を致します。当時の徳川家一門には、慶福(家茂)&慶喜…この二人以外に次期将軍候補は居なかったんですか?歴史の表舞台に名が出てくるのは、この二人だけですが、彼ら以外に候補として名が挙がった人って居なかったんでしょうか?例えば御三卿筆頭の田安家だとか同じく御三卿の清水家、或いは御三家筆頭の尾張徳川家などには将軍候補は居なかったのでしょうか?
2008/07/11 01:20
URL | マー君 #- [ 編集 ]
【 慶喜と慶福以外に対抗馬がいなかったか? 】 マー君さん、こんばんは
コメント承認が遅くなり申し訳ありません。
週一本の記事を自分でノルマとしているのですが、なかなか仕事の関係で時間がとれず、先週は飛ばしてしまいました(><;
時間がない事情もご理解ください。
質問にも丁寧にお答えしたいのですが、申し訳ありません。
簡単にお答えしますと、すでに12代家慶の時代に七郎麿(慶喜)は将軍候補として名が挙がっていました。何故かというと家定が病弱であったことや、本文に書いたとおり、家慶の御台所と慶喜の母が姉妹だった関係が大きかったと思われますが、家慶に大層、気に入られていたからです。
慶福は、慶喜の対抗馬として名が挙がりました。何故かというと家定の従兄弟にあたり徳川家の中では、最も血筋が近かったということです。
当然、御三家、御三卿(一時的に当主がいない場合もあった)に人がいなかったわけではありませんが、消去法ではなく、最初から2人に絞られていたのが実情であったと思われます。
2008/07/19 22:35
URL | 清正 #- [ 編集 ]
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明けまして、おめでとうございます。
昨年中は、お世話になりありがとうございました。
毎日のアップは大変でしょうが、「今日は何の日?徒然日記」SEISYO西郷の心を動かしたもの 2こんばんは〜「今日は何の日?徒然日記」のindoor-mamaです。
今年も、残すところあとわずか・・・
イロイロ交流していただいてありがとうございました。
篤姫は終っちゃいましindoor-mama家定物語〜篤姫が嫁いだ将軍(前編)こんにちは。(^^)/「鉛中毒」で検索していたらこちらにたどり着きました。
お役立ち情報の提供、本当にありがとうざいます。(^-^)
また寄らせていただきますね。( ^-^)/Super源さん大奥が与えた影響こんばんは〜清正さん、お久しぶりです。。。
記事の更新、楽しみにしていました〜
先週の大河ドラマの・・・
>天璋院が将軍たる慶喜を下座に控えさせて、意見をする場面・・・
indoor-mama家定物語〜篤姫が嫁いだ将軍(中篇)こんにちは初めて書き込みます。いつも拝見しております。これからも遊びにきますね。はな日経BPnetで当ブログが紹介されましたindoor-mamaさん、ありがとうございます
最近、なかなか更新できませんが、マイペースで細々とやっていきます。
日経BPnetは、いつもROMさせてもらっていたので、とて清正日経BPnetで当ブログが紹介されました清正さん、おめでとうございます
清正さんご自身は、セカンドライフまでには、もう少し時間がありそうですが、ブログのこの内容の濃さなら、担当者さんが目を留めるのもindoor-mama