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井伊直弼という人・その1
2008/08/11 21:42 [Mon]
category:その他
NHK大河「篤姫」では、天璋院となった篤姫の対立者として井伊直弼が描かれていました。

多くの場合、直弼は豪腕不遜なイメージで描かれることが多く、後世の歴史的評価も辛いものが目立つように思います。

今回の場合も家定の遺言を無視して天璋院の政(まつりごと)への関与を阻み、幼少である家茂将軍を慇懃無礼に奉り上げて、強引に政治を進める人物像となっています。


井伊直弼とは、どのような人物だったのでしょうか?
様々な面から井伊直弼を紹介していきたいと思います。

ひこにゃん
   ↑
  ひこにゃん

【譜代筆頭の井伊家】

井伊家は、家康時代に徳川家に仕えた新参譜代でありながら、藩祖・井伊直政の抜群の働きにより譜代筆頭の家柄とされ、戦場においては名誉ある先鋒を務め、平時においては溜間詰め筆頭として将軍家の諮問に預かる立場でした。

そして江戸幕府の12人(異説あり)の大老のうち、6人を井伊家から輩出しています。

また、彦根を拠点とする井伊家は、京都・大坂の抑えとしての任務を帯びており、江戸時代を通じて井伊家は国替えが行われていない特殊な家柄といえます。

こういったことから、井伊家は幕府から重視させると同時に非常に重い責任を負っていたということが出来ます。

大老とは ⇒⇒⇒ こちら


【直弼の出自】

直弼は文化12(1815)年10月29日、井伊家13代藩主・直中(なおなか)の14男として生まれました。
直中のあと、直弼の兄である直亮(なおあき)が藩主の座に就き、、直弼は17歳から32歳までの15年間を300俵の捨扶持の部屋住みとして他家からの養子口を待つ日々を過ごしました。

この間、直弼の兄や弟は次々と養子口が決まりましたが直弼の縁組がまとまることはありませんでした。

弘化3(1846)年、直亮の嫡男・直元(なおもと)が病死し、部屋住みから一転、次期藩主の座が約束されます。
そして、嘉永3(1850)年、直亮が亡くなり、直弼は15代藩主となりました。


【文武両道を治めた直弼】

部屋住み時代、「睡眠時間は4時間で足りる」と宣言して、学問に没頭すると同時に和歌、茶道、能、禅、槍術、居合術など熱心に修行を積みます。
和歌では、自作の和歌集「柳廼四附(やなぎのしずく)」を編纂、居合では新心新流を開き、茶道でも一派を興します。
NHK大河「篤姫」では、直弼の茶が篤姫の心を捉えて、お互いを認め合うというシーンがありました。


【大老・井伊直弼】

安政5(1858)年、直弼は44歳で大老職に就任します。
このことにより、一橋慶喜を次期将軍に推す雄藩連合の改革派である一橋派に政治的敗北をもたらします。

この時期は、アメリカのタウンゼント・ハリスが通商を求めてきており、その対応に日本中が揺れ動き、幕府は対応に苦慮していました。

大老というのは老中の上に立つ立場ではありましたが、多くの場合は名誉職に近いもので、直弼の場合も就任当初、井伊に何ができるかという批判的ムードがありました。

直弼は、性格なのか部屋住みから一躍藩主になったためか、平時は口数が少なく、議論百出の時勢に軽々と持論を述べることがなく、大老に就任するまではあまり注目されることのない人物でした。

また、直弼の兄であり養父であった直亮も大老に就任にしていましたが何ら政治的手腕を発揮せず、井伊家中は茶・歌・鼓に熱心で危機感のないチャカポン(茶歌鼓)侍と揶揄されていたのでした。 ですから、直弼の強権的政治に誰もが驚きを覚えたのでした。

例えば、評定の場合、担当の老中が上座につき、大老は次席に着くのが慣例でしたが直弼は常に上座に座り、評定をコントロールしたといいます。


長くなりましたので、続きは次回にします。


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