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徳川将軍家と大奥のブログ
十五代の将軍家と謎の多い大奥について語るブログです!
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   このブログは、15人の徳川将軍家と大奥の周辺についてのブログです。

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  歴史ブログ集はこちら >>> 歴史ブログ 江戸時代

御台所の一日1
2008/05/11 11:39 [Sun]
category:大奥の話
NHK大河「篤姫」では、いよいよ篤姫が大奥に輿入れします。

篤姫は、婚儀が済むと御台所と呼称されるわけですが、今回は、御台所の一日をご紹介します。
こちらも参考にどうぞ ⇒⇒ 「御台所の居室」

御台所は、通常は大奥の御切形ノ間を寝所に使っていました。
六ツ半(午前7時)に御中臈が「お目覚め、おめでとうございます」という言葉をかけて、御台所の一日が始まります。

続いて、御下段の間で御中臈の補助によって歯磨き、お歯黒、髪を整えます。 歯磨きは、房楊枝というもので行います。
お歯黒は、鉄奬水(かねみず)と呼ばれる液体と、ふし粉(五倍子粉)と呼ばれる粉末を歯の表面に塗ることを繰り返すことによって化学反応を起こし、艶のある黒色を出します。

五ツ時(午前8時)頃、御上段ノ間で朝食を取ります。
メニューは、汁、焼き魚、野菜の和えものなどでした。

この後、日によっては医師の診察があります。
診察は、舌をみたり、脈やお腹を診るのですが、もちろん、直接、肌に触ることは許されず、布越しに行われました。

休む間もなく、御化粧ノ間で洗面、口すすぎ、化粧、御召し替えを行います。 化粧は、厚化粧が上品とされていたから、白粉を顔だけでなく、衿や胸元まで200回ほども塗り重ねたといいます。
更に和紙の口形に合わせて紅を引いたり、眉墨なども行います。

五ツ半(9時)過ぎに将軍が御成りになるのを大奥の上級女中らとともに出迎え、御小座敷であいさつを交わしたあと、将軍とともに御仏間に入り、歴代将軍の位牌に礼拝をします。

四ツ時(10時)御座ノ間でお目見え以上の大奥女中が将軍に挨拶をする総触れが行われます。
この後 将軍に御台所がお茶をたてることもありました。

九ツ時(12時)、昼食をとる前にもう一度、衣装変えが行われます。
朝起きての着替えを朝御召し、総触れ前の着替えを総触れ御召し、昼食前の着替えを昼御召しということで午前中に3回も着替えがあります。
もちろん、着替えに合わせて化粧直しが行われます。

いかがでしょうか?
御台所は、大奥であくびをかみ殺して暮らしているイメージがあるとは思いますが、実は大奥内の部屋を忙しく移動しながら、スケジュールをこなす毎日だったのです。

長くなりそうなので、午後からの予定については次回に説明します。


   歴史ブログ集はこちら >>> 歴史ブログ 江戸時代

大奥に入らなかった御台所
2008/03/31 00:28 [Mon]
category:大奥の話
御台所(将軍の正室)は、本丸大奥に住むのが徳川将軍家の慣わしとなっていましたが、15代将軍・慶喜の御台所・一条美賀子は、大奥に入りませんでした。

慶喜は、はじめ一条忠香の娘・千代と婚約しますが、千代が疱瘡をわずらったために婚約解消し、今出川公久の娘の延(美賀子)を一条忠香の養女として、再度、婚約します。

一条忠香は後に左大臣国事御用掛の要職を歴任し、忠香の下の娘は明治天皇の皇后となっています。
意外と知られていませんが、系図上は妻同士が姉妹であることから明治天皇と慶喜は義理の兄弟となるのです。

安政2(1855)年12月、美賀子は一橋慶喜と結婚します。慶喜19歳、美賀子21歳の時です。
しかし、2人の仲はあまり良いものとは言えませんでした。
一橋家には、慶喜と7歳違いの養祖母・徳信院直子がおり、慶喜と直子の仲に嫉妬した美賀子が半狂乱となり、自殺未遂までしたといいます。

御台所となっても美賀子が大奥に入らなかった理由は良くわかりませんが、本人の意思ではなく、幕命によるものと言われています。
おそらくは、14代家茂の御台所・静寛院宮(和宮)に対する遠慮と慶喜自身が二条城で将軍宣下を受け、大坂城で政務を執ったため、将軍在任中に江戸城に入ることがなかったためと思われます。

御台所が大奥に入らないという一事をとっても、この頃の幕府の混乱ぶりがわかります。

ちなみに、3代将軍・家光の御台所・鷹司孝子も途中から江戸城吹上に新築した中之丸御殿に移され、大奥と無縁の生活を長く送っています。 


大奥 「開かずの間」の話
2008/03/09 14:05 [Sun]
category:大奥の話
大奥には、幕末まで「開かずの間」として、大奥女中から恐れられていた部屋がありました。
この部屋は使用されないにも関わらず、火災などによる度重なる再建の際にも必ず再建されたといいます。
部屋の名前は「宇治の間」

大奥のほぼ中央部に位置し、上段の間が25畳で次の間が16畳の広さ、大奥の中でも相当な広さがある部屋でした。初期の頃は将軍家嫡子の部屋だったとも、御台所の部屋だったとも言われています。

大奥女中の回想録によると、柳沢騒動の時に五代将軍・綱吉御台所・鷹司信子に刺殺されたのがこの部屋で、それ以来、この部屋の前に見慣れない御年寄が現れると、当代の将軍家に必ず凶事が起きたとの事です。また、この御年寄は綱吉刺殺に関わった御台所付きだったと言われています。
この女中も、この前を通る時には非常に怖い思いをしたと話しています。

大奥で語り継がれてきた具体的な話として、十二代将軍・家慶が、この廊下に黒の紋付を着てお辞儀している見慣れない老女が目に留まったので「あの者は誰か」と尋ねた事があって、その事があった年、家慶は亡くなったということです。

柳沢騒動とは、当時の読み物「三王外記」に書かれたもので、綱吉の寵臣・柳沢吉保の側室・染子と綱吉は男女の関係にあって、染子の子・吉里を自分の子であると信じた綱吉が将軍位を譲ろうとしたことを言います。
それを阻止しようとした御台所・信子は思い余って綱吉を刺殺したという話は、当時から庶民の間で噂されていたのです。

この噂の根拠となっているのは、綱吉と信子が宝永6(1709)年に1月足らずの間に相次いで病死していること、綱吉が染子のいる柳沢邸に異例とも言える58回の御成りがあったこと、吉里が綱吉や綱吉の母・柱昌院に非常に可愛がられていたことなどがあります。

史実というのは、すべての可能性を排除できないものですが、信憑性のある史料からは綱吉が染子と男女の関係であった事や綱吉が吉里を実子と認めたという事実も確認できず、一種の綱吉を批判する逸話の一つと考えられています。

「開かずの間」と言われた「宇治の間」は、襖に宇治の茶摘の絵が描かれていることから部屋の名前が付けられているのですが、その他内部造作も詳細に伝わっており、この部屋に普段使わない調度類が収納されていたということで文字どおり、開かずの間ではなかったのです。


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御台所の居室
2008/01/27 22:28 [Sun]
category:大奥の話
今回は、篤姫が暮らすことになる大奥という場所についての話です。

大奥があった江戸城は、本丸のほか二ノ丸三ノ丸西丸から成っており、本丸は将軍が居城し、幕府の政庁としての機能を果たしていました。

二ノ丸以下は、時代により使われ方は違ってましたが、将軍世子大御所御台所将軍生母の住居として使用されていました。
大奥女中は、それぞれが将軍付、御台所付、将軍生母付などと所属が決まっており、主人が二ノ丸にいれば二の丸に詰めており、従って、本丸以外にも大奥が形成されていました。


御台所住居
本丸の大奥は、本丸御殿の一部を指します。

本丸御殿の広さは、一万一三七三坪(1845年造営の御殿)で、表向・中奥・大奥に三区分することができ、更に大奥の内部は御殿・長局・広敷という3つの区域がありました。

御殿には、将軍の大奥での寝所や御台所らの居室や奥女中の詰所があり、長局には、奥女中の住居があり、広敷は、別棟となっており、大奥の事務を行う男性職員が詰めていました。

「大奥」という名称は、表向に対して一番奥ということですが、大名家等では、「奥向」又は「奥御殿」などと呼称していました。

大奥内の構造は、現存する絵図が少ないため、詳しい事はわかっていないようですが、大奥内の構造が何度も変更されています。
本丸御殿自体が火事で何度も焼失・再建を繰り返しているせいもありますが住む人の都合もあると思います。大きな傾向として、時代とともに構造が複雑になっていく傾向があるようです。

上図は天保15(1844)年造営の大奥御殿のうち、御台所居室周辺図です。

御台所の通常の生活の場が「新御殿御上段」「御下段」「御休息」で、寝室が「御切形ノ間」です。「御化粧ノ間」が化粧道具の置き場、「御納戸」が更衣室兼化粧室です。

現在、本丸御殿の場所は、皇居東御苑となっており、大奥を偲ばせる建物は現存しませんが、一般公開されていますので是非、訪れてみてください。


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